オーストリア旅行のおすすめスポット【ザルツブルクを見守る城塞】



ザルツブルクの街を見下ろすように聳え立っているホーエンザルツブルク城。
その歴史は11世紀にまで遡ります。

当時、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウスの間で聖職叙任権をめぐる闘争が続いていました。
大司教ゲプハルトは、弱体化していた皇帝の権力に対し、自らの地位を高めようと教皇側につきます。
しかし、「カノッサの屈辱」で皇帝と教皇は和解。このため大司教は皇帝からの報復をおそれて城塞を築き始めました。
この城塞が、後のホーエンザルツブルク城となるのです。ちなみに着工初期の建物は今日でも城塞の中心となっているロマネスク様式の居館。
大司教ゲプハルトは結局亡命に追い込まれますが、城塞の建築は歴代の大司教に引き継がれていきます。


15世紀後半にはハプスブルクやバイエルンからの攻撃や市民の反乱に備え城塞を強化・増築。
そして最初の武器庫と穀物貯蔵庫が造られました。

16世紀には城の目玉でもある「黄金の部屋」が造られています。
この時代には大司教の権力のシンボルとして、城の増築や宮殿の改築がなされています。
建築方式もこのあたりでロマネスク様式から後期ゴシック様式に変化しています。

17世紀に入ると大司教パリス・ロドロン伯爵がバロック建築時代にふさわしい壮大な築城工事を行います。
こうしてホーエンザルツブルクしろは中世式の砦から近代式の城塞に生まれ変わりました。
また、この頃三十年戦争でマクシミリアンをかくまった事から、「救助の砦」とも呼ばれていました。


19世紀になると、これまで堅固な守りを誇ってきたこの城塞はフランスのナポレオン軍に占領されてしまいます。
そして1816年、神聖ローマ領となったザルツブルクはハプスブルク家の支配する土地に。
この頃のホーエンザルツブルク城は兵舎や監獄としてのみ使用されることとなりました。



ザルツブルクの1000年を共に歩んできたホーエンザルツブルク城。
今日では、シェーンブルン宮殿に次ぐオーストリア第二の観光名所として知られています。
歴史を感じるこの城塞に是非一度足をはこんでみて下さい。









オーストリアエクスプレス
オーストリアエクスプレス

  • ホーエンザルツブルク城
  • ザルツブルク
  • オーストリア
  • 観光